Life

ちょっと良い話

1/15/2020

楽しい一時帰国が終わり、シンシナティの国際空港に着いたのが1/5の深夜。我が家に着いた時には1/6になっていました。荷物の片付けと短い睡眠の後、事前に頼んでおいた必要な書類を前の職場に取りに行ってから2人で免許の書き換えに行き(実は期限ギリギリでした。)、翌1/7 は主人はケンタッキーのオフィスで仕事をし、1/8の朝アラバマまで車で5時間半位の距離を自分で運転して帰って行きました。そして1人残っていた私はその2日後の1/10に、シンシナティからアトランタ経由でアラバマ州ハンツビルへ。引っ越し当日に指示がスムーズに出来るように事前に家具の配置などを2人で確認しておく必要があったので、今持っている家具を書き出したリストと巻尺を持って、3泊4日の日程で新居のチェックというわけです。(私はこの時初めて引っ越し予定の家を見ました。ちょっと古いけど、味のある家で好きになれそう。)それにしても気忙しいというか、クリスマスからこのかたメチャクチャ忙しくて、もうホント、泣きたい気分です。

そんな殺伐とした気持ちでいたところ、とても心温まる光景に出くわしました。それは、アトランタからハンツビル行きの飛行機に乗り込んだ時の事です。

窓側から通路側に向かってABCの3つの席が並んでいると思って下さい。1列目の真ん中Bと3列目の真ん中Bに、小さな女の子とお母さんの席が離れてしまっていたんです。(しかも、日本人の親子だったので、余計に感情移入して見ていました。)3席並びの時には真ん中の席が最後まで残るので、予約が遅いと連れが離れた席になる事はよくある事ですが、お母さんと小さな女の子の組み合わせだとちょっとかわいそうだなぁと思っていたら、お母さんの隣の窓側Aの席に既に座っていた若い女性がすぐに状況に気付いて、「お嬢さんと席を代わってあげますよ。」と言って、さっと立ったんです。すると反対隣のCの席に座っていた男性も、「奥から出るのは大変だから、僕が代わってあげるよ。」と言って席を立ちました。女性は「私、小柄だから大丈夫。でもそう言ってくれてありがとう。」とニッコリ笑って手早く手荷物をまとめて通路に出たのですが、頭上の棚に入れていた荷物が取りにくかったようで、まだ乗客が来ていなかった2列目の通路側Cの席に一旦手荷物を置いて頭上の荷物を探っている時にまさにその席の乗客がやって来て、「そこ僕の席…」と言いかけたところで全ての状況を理解して、「僕が女の子の席に座るから、君はそのまま僕の席に座って。」とニッコリ。女の子の手荷物のリュックは大玉運びのように近くにいた大人達の頭上を運ばれ、手ぶらで通路に出た女の子は無事にお母さんの隣へ。ここにいた人達みんな、超かっこよかったんですけど。見知らぬ乗客同士がとても自然に連携していて、感激しました。「こんな優しい人達が住んでいるなら、ハンツビルって良いところかも。」と、引っ越しが楽しみに思えてきました。

そしてこれはおまけの話ですが、アトランタからシンシナティへ戻る帰りの便でも似たような事が起こりました。3席並びの通路側Cに座った私はすぐに、隣の席Bの女性と通路を挟んだ3席並びの真ん中Eの席の男性が連れである事に気付いてしまいました。一瞬迷ったのですが、思い切って「彼と連れなら、席を代わりましょうか?」と尋ねたら、彼女の顔がパアッと明るくなって。あんなにわかりやすく喜んでもらえると、言った甲斐があるというものです。でも、行きの飛行機での出来事がなかったら、きっとこちらから声をかける勇気は出なかったと思います。席を代わった後、隣同士になった2人が楽しそうに話す声が聞こえていたので、こちらまでなんだか嬉しい気持ちになりました。

(主人が今テンポラリーに住んでいるアパート群。)

(今の家に来ているコミュニティ紙とALの新居に来ていたコミュニティ紙。)

アラバマ州ハンツビル。きっと良いところに違いないと思っています。どんな土地柄なのか、どんな人達と知り合えるのか、とても楽しみです。まずは、あと1週間に迫った引っ越しが無事に済むように頑張ります。

Baking

2020年(令和2年)のお正月は日本で

1/14/2020

皆さま、明けましておめでとうございます。私達夫婦、令和初の年末年始は日本に一時帰国していました。東京で一人暮らしをしている次女も帰省して、2年ぶりに家族3人で我が家で年越ししました。私が風邪をひいて買い物に出るのもままならなかった上に、おせち料理用の重箱もお雑煮用のお椀もアメリカに持って行ってしまっているので、元旦の食卓のなんとまあ寂しかった事か。それでも、我が家のおせち料理には定番の煮豚と紅白なますと、今年はそれに加えて名古屋名物「世界の山ちゃん」風の鶏手羽の甘辛煮を作って、後は市販の黒豆などの定番の品を並べて、ワンプレートのおせちにしました。これにお雑煮で、なんとか体裁は整ったかな。(2年前も同じ条件だったけどもう少し頑張れていたので、今年はやはり体調がよほど悪かったのだと思います。)

(ちょっと寂しい?元旦の朝のワンプレートおせち。)

翌1/2は、来客がありました。2015年9月に主人が正式にアメリカに赴任し、翌年3月に次女が東京へ5月に私がアメリカへそれぞれ引っ越して以来、家具も食器も最低限残してあるだけなので、とても家にお客様をお招き出来る状況ではないのですが、「親戚なんだし、そんなに気にしなくて良いんじゃない?」と言う主人の一言で、今年のお正月は義妹一家をお招きしていたんです。よくよく考えたら、こちらから行くばかりで、我が家へはもう10年以上来てもらっていなかったような気がします。(こちらから行けば近くの親戚を回れるので、ついつい。)

(料理がよく見えないけど…。みんなで記念写真、パチリ。)

せっかく遠くから来てもらうので、「家でお昼を一緒に食べましょう。」という事になっていました。いろいろ考えたのですが、何しろ食器が少ないので、残してあった大皿2枚に押し寿司と市販のおせちを盛り、大鉢に大量の筑前煮(元日は体調が悪過ぎて作れなかったけど、材料は揃っていたので)をどど〜んと盛って、それぞれ好きな物を好きなだけ取り分けてもらうようにしました。最初は手まり寿司にするつもりだったのですが、前日になってキッチンの棚にパイレックスの角皿を2つ見つけて(存在をすっかり忘れていました)メニューを変更しました。我ながら、これがなかなかのナイスアイデアでした。当日の朝、近所の生協が開く前にすし飯や錦糸卵などの準備を済ませておいて、生協の開店と同時にお刺身を買って来て、押し寿司の仕上げをしました。パイレックスの底にラップを敷いた上に底を4等分するように4種類のお刺身を敷き、すし飯をのせ、上から平らに押して、大皿の上にひっくり返して出して、彩りと薬味の為にカイワレ大根を飾りました。もう1つの方は、海老と錦糸卵ときゅうりの薄切りを敷いて押し寿司にした後ふんわりとイクラを飾りました。こちらは材料だけ用意して作り方(並べ方)は次女に任せたところ、こだわりを持ってきれいに仕上げてくれました。2人でワイワイ言いながら料理するのは、久しぶりで楽しかったです。1種類ずつの押し寿司を手分けして一度に作る事が出来たので、小さな手まり寿司を沢山作るよりかなり時短になったと思います。本当は汁物も作りたかったけれど、お椀の数が足りなくて断念しました。お茶で我慢してもらおうと思ったら、来客用のお湯呑みに至っては1客も無く、家族用の湯呑み(そのうち2つは私の手作りだし)をかき集める事態になりました。こんな事を許してもらえるのは、やはり親戚だからですよね。

どの親戚からも、高速道路を飛ばして1時間半はかかる我が家。空き家になって以来、月に一度点検に来てもらっているアルソックさん以外には鍵を預けている親戚ですら入った事がありませんでしたが、今回の事で招く側も招かれる側もなんだかハードルが下がったかもしれません。懲りずに、また来てね。

年末年始は私だけでなく結局家族3人とも次々に風邪をひいてしまい、ろくに外出も出来ずある意味とんだ一時帰国となりましたが、楽しい思い出(娘と料理とか)も出来たので良かったです。さて、今月末にはアラバマ州への引っ越しが待っています。引っ越し先が決まったのが12月に入ってからだったので、一時帰国も挟み、いろいろとスケジュールがタイト過ぎて今は不安でいっぱいです。でもどこに行こうと、これからも大好きな手作りは続けていきますよ。そんなこんなで年明け早々バタバタしていますが、今年もお付き合いの程どうぞよろしくお願いします。

(帰路、羽田のラウンジから見えた富士山。美しい国です。)