今年の春先からワクチン接種が進んだ事によって規制がだいぶ緩み日常生活ではマスクが必須となる事がほぼ無くなって来た7月下旬、NYのブルックリンに住む長女夫婦会いに行って来ました。(もう1ヶ月も経ったのね。)アラバマに帰って来てからコロナの状況があまりにも悪化してしまい、のんびりNY旅行記みたいな物を書いていて良いのかと自問していましたが…記憶が曖昧になってしまう前にやはり記録を残そうと思います。土曜日に着いてまずは娘達の家で一泊し、翌日曜と月曜を4人で郊外のロッジでのんびり過ごし、残りの平日の昼間は我々2人で自由行動という感じで過ごしました。もっとも、長女夫婦は2人ともフレキシブルな形態でステイホームで働いているので、観光から戻ればありがたい事に家族の時間がしっかり取れました。
《1》準備から出発まで
(空港のような公共の建物内ではマスクは必須。)
《2》郊外へのショートトリップ
一泊2日で車でCatskill Mountainへ。もちろんピノも一緒です。途中Flushingという中華系の街に寄って中華ランチ。すごい人混みにびっくりしたのと同時に、歩く人々のマスク着用率の高さ(おそらく100%、見た限り例外無し。)にもびっくりしました。中国系の人はコロナへの危機感が高いのか、社会に蔓延するアジア系の人々に対する暗黙の非難や差別へのせめてもの対抗なのかと、色々考えてしまいました。
2日目は、近所のおしゃれなレストランでサンドイッチをテイクアウトし、近くのキャンプ場へ。駐車場に車を停めて、みんなで湖畔をお散歩。湖に面した景色の良いピクニックエリアでランチ休憩してから、いよいよ森の中へ。
まずは紀伊國屋で久しぶりに日本語の本や日本の文房具に囲まれて、とりあえず心を浄化。それからブラブラと街に繰り出しました。
(タイムズスクエアは観光客でいっぱい。)
NYには20年前に一度来ていますが、当然ですがその時と変わらない風景も変わってしまった風景もありました。当時日本から遊びに来ていた私の両親と泊まったヒルトンホテルは当時のままの姿でそこにありましたが、孫との旅行を楽しんでいた父は残念ながらもういません。一緒にブロードウェイにリバーダンスの舞台を観に行ったなあ、と思っていたら、地下鉄のホームでリバーサイドのポスターを見ました。ブロードウェイは再開したのでしょうか?また、トランプタワーの前を通った時には、まさかトランプさんが大統領になるとは誰も想像していなかったなあと思いました。歴史を感じるプラザホテルの向かいにかつてあったFAOシュワルツはなくなっていて、そのすぐそばに超お洒落で近代的なアップルのお店ができていました。ガラス張りキューブ状の入り口から螺旋階段で地下に降りて行くと、ワンフロアの大きな売り場が広がっていました。(後で知りましたが、元々のFAOシュワルツの店舗は2015年に一旦閉店となりましたが、2018年にロックフェラーセンターの一角に再び開店したそうです。今の子供も昔子供だった人も、みんな嬉しいね。私も、また映画「BIG」が観たくなりました。)
せっかくだからセントラルパークにもちょっと寄りました。大都会の真ん中にあるこの巨大な公園はアップダウンもありびっくりするような巨岩もあるけど、自然の地形なのかな?以前ここで辻井伸行さんが野外コンサートをされていたのを思い出して、心の中ではベートーベンの「皇帝」が流れていましたよ。
MOMAは大き過ぎず小さ過ぎず、凝縮された見応えのある展示内容で大満足。ピカソの「アヴィニョンの娘達」やルソーの「夢」については、最近ハマっているYouTubeの「山田吾郎 オトナの教養講座」でピカソ回とルソー回を観たばかりだったので(特にルソー回は複数回あった全てがメチャクチャお勧めです。)、かなり興味深く鑑賞出来ました。セザンヌの部屋も、見た事も無い素描や小品が沢山あってすごく面白かったです。お土産には、マチスの「ダンス」のマグネットを買いました。
この日の夕食は、日本食レストランへ。今私達が住んでいる周辺にはお寿司を頼んでも一緒にライスが付いてくるみたいな感じの日本食レストランしか無いので、ちゃんとした日本料理が食べたいと言ったら、娘が本格日本料理店を予約していてくれました。仕事終わりに家から合流する娘達とは現地集合。お任せコースのみの完全予約制の小さなお店で、大将とおしゃべり(もちろん日本語!)しながらカウンターで一品ずつゆっくり味わうタイプの食事を楽しみました。アペタイザーにも趣向があり、その後バラエティ豊かな新鮮なネタの握りが目の前に1貫ずつ出てくる、贅沢な時間を過ごしました。(お値段もかなり贅沢でした。)
《4》自然史博物館
もう1日は、南の方を回りました。まずグラウンド・ゼロを目指したところ最寄駅から地上に出たらひどい雷雨だったので予定を変更して先に自然史博物館に行く事にしましたが、既に長蛇の列が出来ていました。入館までに1時間、更にチケットを買うまでに1時間はかかったと思います。雨が上がっていたのがせめてもの救いでした。(列に並んでいる間にネット購入を試みましたが何故か上手くいかず、結局中でも大行列を作ることになってしまいました。ここは大丈夫でしたが、最近は密を避けるためか入館には時間と人数に制限が設けられている施設も多いので、ネットで買えるのなら計画的にネットでチケットを買っておくのがお勧めです。)
やっとのことで中に入ると、ホールの真ん中に恐竜の骨格標本が2体ドーン。電子チケットを持っていたらそのまままっすぐ進んですぐに中に入れるのですが、私達は左手のチケット売り場に再び並ぶ事になりました。でもそのおかげで、チケット売り場横の壁画に描かれた人物に、漢字で「高平」と「小村」と書かれている事に気が付きました。「小村」は小村寿太郎だろうと見当がつきましたが「高平」が分からず、並んでいる間にスマホで調べました。高平小五郎でした。日米講和会議かポーツマス条約の締結の様子を描いているのでしょうか。
(右端に立っているのが、小村寿太郎。)
真ん中にあるドアを挟んで右側にも日本関係の壁画が。(因みに、ドアの上の壁画はチンギスハーンらしい。)こちらには右上に大きく「大日本帝国」の文字があり、時代を遡った感じで弓を射る武者やら着物を着た婦女やらの絵もあり、下の方はロシアとの戦いを表しているのか皇帝らしき人物と日本の軍人が対峙している風な構図もあったりしました。ここにも説明が欲しいよう。この壁画の存在自体私は今回初めて知ったんだけど、みんな(アメリカ人も含めて)意味を知ってるのかな?入って左手の壁画は日本を含めたアジアの国々の第二次世界大戦終戦までの歴史を表しているのかなとは思いましたが、本当のところはどうでしょう。こちら側の壁画にばかり目を奪われていましたが、正面と右手にも天井までぎっしりと壁画がありました。よく見てくれば良かったと後悔しています。
ホールの壁画の話ばかりになってしまいましたが、中の展示ももちろん面白く見て回りました。ものすごい量の剥製はこの博物館の宝ですが、良い意味で以前とそう変わらないと思いました。今でも映画「ナイトミュージアム」の世界を想起させてくれて、ワクワクします。上層階は大幅に改装もされていて、化石や骨格標本などの展示内容も更に充実していて、とても興味深く見て回りました。ただ残念だったのは、アジア文化の展示のところ。日本についての展示はせっかく他の国に比べても良い位置に大きく割かれているのに、展示が何十年もそのままなのではないかと心配しちゃうくらい劣化している感じで、一般的なアメリカ人にはかなり誤解されそうです。なんとかなりませんかね?
《5》グラウンド・ゼロ
地下鉄を降りて地上に上がると一帯が新たに整備されていて、ここを大きな追悼の場にしようとしている意思を感じました。同時に、あまりにも全てが新しいので、一旦全てが無になったんだなあという事もしみじみ実感しました。私にはアメリカ人の本当の気持ちは到底分からないけれど、恨みや憎しみよりは犠牲者を悼む気持ちが満ちた空間だと思えたのは、私にとっては良かったです。こんな気持ちを持てるようになるのに20年という長い時間がかかったのかもしれませんし、卑劣なテロを憎む気持ちはもちろん持ち続けなければいけませんが。これからも、この地が静かな祈りの場所でありますように。
(犠牲者の名前が刻まれたプレート。)
博物館もあるようですが、今回は残念ながら訪問出来ませんでした。奥に見える白い翼を広げたような形の建物は大空間のモールになっていて、地下鉄のFulton St駅と繋がっています。商業施設というよりはモニュメントとしての造形物であって欲しいと思うのは部外者のわがままでしょうか。沢山の人に訪れて欲しいと思うと同時に、あまり観光地化しないで欲しいなとも思ってしまいました。
今回の旅行では、地下鉄を沢山使いました。最初に10ドルでメトロカードを買って使い始めたものの、足りなくなったらチャージしながら使うとしても使わなかった分の返金もないし何だか面倒だなあと思っていたら、クレジットカードが対応可のものなら直接改札にかざすだけで支払いが出来ると教えてもらいました。持っているカードの裏を見るとそれらしいマークがあり、やってみると無事に使えました。(そんな機能が付いているなんて全然知りませんでした。)乗る時だけピッとやれば良く、降りるときは必要無い(どこまで乗っても統一料金)のでとても使い勝手が良かったです。ただ、カードの明細に $2.75という少額がずらりと並ぶのが何だか愉快でたまりませんが。短期の旅行者にはこれは最適、と思いました。
(駅構内もキレイなデザインのところが多かったです。)
偶然お勧めに出てきて何気なく見たフジサンケイ系列のネットニュース番組で、NYの地下鉄の車両や券売機などのデザインをされた日本人デザイナーの宇多川信学(ウダガワ マサミチ)さんのインタビューをしていたのです。今年の7月の初めに納入された新車両の実際の運行は来年の夏からだそうですが、今走っている車両も宇多川さんのデザインだとの事でした。何だかしっくり来ると思ったら、そういう事ですね、と納得です。乗り換えの案内が一目で分かりやすいと思ったのは、日本の地下鉄のエッセンスが入っているから日本人にとってはすごく馴染みのある方法が使われていたからなんですね。もちろん日米で異なる観点から造られているデザインもあり、そんなお話が聞けたのもとても興味深かったです。日本の発券機はお金を入れてから買いたいもののボタンを押すがアメリカではそれが逆になっているのは何故か、という話については、実際にメトロカードを買うときに「あれ?」と思った点だったので、なるほど〜と面白く伺いました。他にも車両のデザインや内装の素材選びのポイントなど、現役バリバリのデザイナーさんの生きたお話に興味のある方は、検索して是非ご覧ください。
今回のNY行きは、娘達と久しぶりに会うためでした。今振り返ってみると、デルタ株による第3波が来る前の小康状態の時だったのかなと思うので、良いタイミングだったのでしょう。帰ってきて数日後には、NYでは全ての建物に入る時のワクチンパスポートの提示が義務付けが発表されましたから。(今回の旅行ではどこでも一度も提示を求められませんでした。)
ショートトリップに行ったり、何故か夜な夜な4人で麻雀で盛り上がったり(娘と私は初心者で主人と婿は鬼のように強いので、全部の牌をオープンしてルールを教わりながらの麻雀でした。かなりユニークな試みかと。)、ボイラーが壊れてお湯が出なくなったり、急に8月いっぱいで家を出て欲しいと大家さんに言われてあたふたしたり、まあ色々ありましたが、総じて楽しい旅でした。娘達には色々と手配をしてもらい、感謝感謝です。私がモタモタこのブログを書いている間に、娘達は新しい家を探してさっさと引っ越しを終えてしまいました。やる事早っ!またいつか、新居の様子を見ながら遊びに行ける日が来るといいなあ。その時はまた宜しくね。