Life

アメリカからの引っ越し

7/04/2022

コロナ禍の中 アメリカから本帰国して2ヶ月半。先日、今回の海外引っ越しをお願いした日通アメリカさんから、4月13日にアラバマの我が家から出した船便の荷物が6月14日にロサンゼルス港を出港したとの連絡がありました。現時点でも不便なりに生活が出来るように一応の物が揃っているので、船便に入れた荷物が本当に必要な物だったのか不安になってくるのが不思議です。名古屋港に入港するのが7月2日で、そこからまた通関手続きが約1ヶ月かかるようですので、8月の頭には配達される事になるかもしれません。世界中でコンテナ輸送が滞っているというニュースを散々聞きながらの引っ越しだったので、ちょっと嬉しい知らせでした。


何だかもうすっかり日本の生活に慣れてしまって、数ヶ月前までアメリカに住んでいた事が信じられないくらいです。引っ越しの事も忘れかけているので、船便がロサンゼルス港を出たという知らせが来たこのタイミングで、どんなスケジュールで引っ越しをしたのかをまとめておきたいと思います。




2/10 (木) 会社から 3月一杯での帰任の内示を受ける。(日本一時帰国中。)

2/16 (水) アメリカに戻る。

    3月にならないと会社の人達にも帰任の事を言ってはいけなかったので主人も私もそれが本当に苦しかったのと同時に、とても急な決定だったので本当に準備が出来るのかが心配でした。実際、日通さんに海外引越しをお願いするのも3月になってからだったので、希望する日程はもう取れず、大変でした。


2/20  (日) 家具のリスト作成。


    日本に持ち帰る家具や家電とそうでない物を決めて、誰かに譲って使ってもらいたい物のサイズを計り写真を撮って、リストを作りました。3月になったらすぐにPDFで知り合いに送って引き取り手を決めるためです。1ヶ月で全ての物の行き先を決めるというのが、結構大変でした。(後任の人に全て譲れたら一番楽なのですが、主人の後任の方は単身で来られるとの事で家具付きのアパートに入るつもりだとお聞きしたので、こんな事になりました。)


3/2(水) 日通アメリカに引越しを依頼。


3/5(土) 引っ越しが4/12との13に決定。

     帰国便のチケットをとる。

3/23(水) 日通アメリカの担当者さんが下見と今後の説明に来てくれる。

     はるばるテネシー州ナッシュビルから来て下さいました。(最寄りの支店です。)

     日本行きの航空便(30kg分、段ボールで3個分見当)で送る物と船便(その他全て)で送る物の他、現地で譲っていく荷物とその配達先(4カ所)を確認。アラバマだけでなく前赴任地のケンタッキーにも配達を頼んだので、万が一にも行き先に間違いがないよう慎重に打ち合わせをしました。


3/29(火) 自動車保険の解約手続き。

3/30 (水)  会社関係の奥様方に送別会をしてもらう。

    我が家でポットラックでしたが、私は送られる側という事で場所の提供だけで許してもらいました。コロナ禍のため皆さんと集まる機会がなかなか持てず、アラバマに2年住む間に会社の奥様方を我が家にお呼びするのはこれが2回目でした。でも、そんな状況だったからこその目に見えない謎の結束があったと信じたいです。お世話になりました。心からありがとう。



3/31(木)主人の出社最終日。夜、ハンツビルのダウンタウンのレストランで送別会。

(主人の会社生活最後の日の思い出を共有出来て嬉しい。)

     会社のマネージャー以上の方々が開いてくれた送別会でしたが、私も招いて頂きました。アラバマに引っ越して以来コロナ禍のため私には人との繋がりがほとんど無く、秘書さん以外の主人の同僚の米人の方々にお会いするのはこれが初めてでした。最後の最後に機会を与えてもらい、本当に感謝です。

4/2 (土)    私の車の査定。

     主人の車は会社のリースカーなので会社に返すだけですが、私の車は自分で買った物なので自分で売らないといけません。Blue Bookというサイトで売りたい車の型式や走行距離などの条件を入力すると簡単に査定額が出て来るので、それを頭に入れた上で点検でもお世話になっている近所のディーラーの中古車買取の部門へ出かけました。私の車は2016年モデルのRAV4で走行距離は9000マイル弱(約14000キロ)でした。6年乗ってこれしか走っていないとは、行動範囲がいかに狭かったかお分かりでしょう。査定の結果は、$23000。1週間以内だったらこの査定額で引き取るという事で、書類をもらってこの日は帰る事にしたのですが、Blue Bookの査定ではもう少し良い値がついていたのでダメもとで隣の市のディーラーにも行ってみる事にしました。すると、査定額は$21500だけど今日置いて行ってくれるなら$23500出すと言われました。まだ数日は2台体制でないと困るのでそれは断り、先に行った近所のディーラーで買ってもらうことに決めました。査定は2件とった事で、金額に納得出来ました。

4/3(日)     ネットで郵便物の転送手続き。

     海外への転送はしてもらえないので、主人の勤めていた会社宛に転送してもらうようにして、後の処理(中を確認してメールで連絡をしてもらう、など)を秘書さんにお願いしました。
     転送手続きは、旅行中に局留めにしてもらう手続き同様、ネットで簡単に出来ます。驚いたのは、転送手続きが終わると続いて郵便局とは関係ない選挙人登録の変更手続きを促された事です。確かに引っ越す時には必ず郵便の転送手続きをするから、合理的ですね。(私達は関係なかったけど。)


4/4(月) 電気・ガス・水道の停止手続き。

     Madison Utilities(水道)は、電話かメールでも手続きが出来るようでしたが、Huntsville Utilities(電気)とNAGD(ガス)はオフィスに行く必要がありそうだったので、一度に3か所回って午前中に一気に済ませました。

(Huntsville Utilitiesのオフィスビル。)

     Huntsville utilitiesのオフィスはハンツビルのダウンタウンの真ん中にあります。入って行くと窓口が3つほど開いていましたが、そのうち2つの窓口には日本人が来ていました。(どんなに上手な英語で話していても佇まいでなぜか分かる、海外日本人あるある。)うちの番が来た時に係の人に「今日は日本人が多いの?」と聞いたら、逆に「あなたで6人目。コロナのせいでみんな日本に帰っちゃうの?」と聞かれました。「日本は4月が年度変わりだから、どこの会社も移動が多いのかも。」と主人が答えていました。

4/6(水)銀行の手続き。

     アメリカで使っていた銀行口座は夫婦の共有名義だったので、2人揃っていろいろサインが必要な書類にサインしに行きました。まだ振り込みや引き落としの予定があり、すぐに口座を止めるわけではないので、帰国後の手続きの流れなども確認しました。     

4/7(木)車を売る。

     1週間前に査定してもらっていた近所のディーラーに私のRAV4を売りに行きました。丁度窓口にいたのが前に査定額を出してくれた人(自称ジミーチュー似)だったので話しやすく、ダメ元でもう一度値段の交渉をしたら、買取額を$23500に上げてくれました。逆にびっくりなんですけど。ありがとう、ジミーチュー。ナンバープレートを外してもらい、記念に持ち帰りました。(船便に入れたよ。)

(Bill Penny Toyota。ここで定期点検もしていました。)

     午後から日通さんが来て、荷造りをし始める。プレ引っ越し1日目。

4/8(金) この日も午後から日通さん。プレ引っ越し2日目。

4/12(火) 引っ越し1日目。日本行きの船便は、トラックへの積み込みまでほぼ完了。
      
                      もうベッドが無いので、この日から近所のホテルに移動。

4/13(水) 引っ越し作業前朝イチでPCR検査。

     出国前72時間以内の陰性証明を取らないといけなかったので、とてもスケジュールがタイトでした。引っ越しの最中に検査結果が陰性だったという連絡が入り、ほっと一息。

      引っ越し2日目。全ての荷物が出る。
      

(どんどん片付いて行くよ〜。)

(どんどん積み込むよ〜。)

    引っ越し作業の何が大変かって、この梱包明細書への記入ですよ。内容物は日通さんが書いてくれるんだけど、保険をかけるためにその内容物ごとに金額を書くのは荷主です。(ある程度のところまで来ると、神経が麻痺してくるというか、コツが掴めて楽になりますが。)引っ越し荷物は、最終的に約200箱分になりました。


4/14(木) ホテルをチェックアウト。

      前の日に受けたPCR検査の陰性証明書を貰いに行く。

      家の掃除。

     がらんどうになった家。この家ともお別れなのかという寂しさと、引っ越しが無事に終わった安堵と満足感で、複雑な心境でした。大雨が降るとお湯が出なくなるなど、いろいろ問題のあった家でしたが、振り返れば良い思い出ばかり。

(もっと人を招きたかったダイニング。)

(毎日の食事はここ、モーニングヌックで。)

(ファミリールームはあまり使わなかったなあ。)

(主寝室)

(毎日のようにWii Golfで遊んだエンタメルーム。)

(プロジェクターでよく映画を観たシアタールーム。)

(全景。大きな家でした。)

     Wi-Fiの機材を返却。

    AT&TのWi-Fiの機材は、最後の掃除を終えて本当に家を最後に出た後で返却しました。ケンタッキーを引き払う時は最寄りのAT&Tの店舗の窓口に機械をただ返しに行ったのですが、受取り証のような物を出してくれる訳でもなかったので、本当にこれで良いのかと不安に思いました。今回もそんな感じなのか返し方を最寄りの店舗に聞きに行ったら、店舗での回収はしていないからここに電話をしろと電話番号を教えてもらいました。そこに連絡をして顧客番号を伝えると返却すべき機械の製品番号を確認して教えてくれて(うちの場合、3台分)、バーコードが付いたPDFをメールで送ってくれるので、それを印刷して機材と一緒にUPSに持って行ったら手続き終了でした。自分で包装する必要も無いし、確実に返却の記録が残るので、とても良い仕組みだと思いました。

(近所のUPSストアに持ち込みました。)

      ハンツビル空港のホテルに移動。チェックイン。

     翌朝早い便に乗るので、空港ホテルに前泊しました。

(部屋から見た夕日に染まる滑走路。)

4/15(金)アメリカを発つ。

     見送りに来てくれた方々に挨拶。秘書さんには家の鍵と会社のリースカーの鍵を渡して、後をお願いしました。

(デトロイトで名古屋行きの国際線に乗り換え。)

4/16(土) 日本到着。
      飛行機を降りるとすぐにPCR検査を受けて、陰性の結果を待って無事入国。

     ワクチン接種が3回済んでいたので指定ホテルどころか自宅待機も求められず、2ヶ月前の一時帰国の時とは大違いの自由さです。(詳しくは、一時帰国の時のブログを見てね。)
     手荷物だけでなく後から引っ越し荷物が来るので、税関を通る時に別送品(引っ越し荷物)の申告書にスタンプを貰って、それを保税手荷物受取所に提出するのを忘れてはいけません。これで、帰国時にする事は全て終了。後は荷物が届くのを待つだけです。


日本に帰って来るまでをざっと振り返ってみました。かなりバタバタした日々でしたが、実際にいろんなところに電話したりメールしたりしていたのは主人なので、私は周りでワーワー騒いでいただけかも。



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初めての在外選挙

10/30/2021

 日本では10月31日が衆議院選挙の投票日ですね。私達夫婦は先週末日本よりひと足早く、ジョージア州アトランタにある日本領事館で在外投票をして来ました。(在アトランタ総領事館の管轄範囲は、アラバマ州・ジョージア州・ノースカロライナ州・サウスカロライナ州の4州に渡ります。ケンタッキー州にいた時は、ミシシッピ州のナッシュビルにある総領事館にお世話になりました。)


(選挙人登録した時にもらったパンフレット)

行ったり来たりで只今3回目の海外駐在中。合計すれば15年を超える海外生活の間一度も投票出来なかった事にすごく疎外感を感じていたので、在外投票が出来るようになったと聞いた時から、機会があれば海外にいても必ず投票しようと思っていました。日本国籍を持つ日本人であり、家族の仕事の関係で海外に短期滞在しているだけだもの。そして、海外生活が長くなればなる程益々日本が好きになっていくんですな、これが。政局に何もなくても今年の秋には任期満了に伴う衆院選がある事はわかっていたので、去年の6月パスポート更新のためにアトランタの日本総領事館へ出向いた時に、在外選挙人名簿登録をしておきました。そして待つこと数ヶ月、在外選挙人証がアラバマの我が家に届きました。参政権は国民の権利ですからね。持っている権利を行使しないと決めるのは良いけれど、最初から権利はないと言われるのが納得いかないモヤモヤのポイントでした。「これでアメリカにいても投票が出来る!」と、舞い上がる私。

で、ここからが本題。日本のニュースを毎日チェックして選挙に向けて日本も盛り上がっているなあと思っていた折り、10/14に領事館から選挙に関するメールが来て、どうやら郵送での投票では間に合いそうもない事に初めて気づきました。だって、

①選挙人証と投票用紙等請求書を該当する選挙管理委員会に送付。
②選挙人証と投票用紙を返送してもらう。
③記入した投票用紙を選挙管理委員会に送る。

と、10/31の投票日までに3回も太平洋を挟んで郵便のやりとりをしなければいけないなんて、リスクが高過ぎます。改めて以前貰っていたパンフレットで在外投票の方法を確認すると、「投票用紙の請求はいつでもできます。」との注釈がありました。投票出来るという高揚感が大き過ぎて、よく読んでいなかったというか、この一文の本当の意味を理解していなかった…。


という訳で、選挙人証と共に送られて来ていた投票用紙等請求書を使うことも無いのかと虚しさでいっぱいに。

(投票用紙の請求書は、ダウンロードして印刷も可。)

在外投票の方法は郵便投票の他に、

①選挙期間中一時帰国して日本で投票する。
②在外公館で投票する。

の2パターンがあります。

今の段階で可能性があるとすれば②しかありませんが、アトランタの総領事館での投票期間は10/20(水)〜10/23(土)の4日間のみ。平日は仕事があるので、実質土曜日の一択です。ダメ元で主人に「10/23にアトランタまで投票に行かない?」と聞いたところ、あっさり「良いよ〜。」の答えが。主人も今回の投票の機会を楽しみにしていたらしいです。我が家からアトランタまで車で約4時間かかる(しかもタイムゾーンが違うのでアラバマとは1時間時差があり、見た目には行きに約5時間かかる事になります。)ので、日帰りではもったいないという話になって、1泊2日のアトランタ投票旅行をする事になりました。久々のお出掛けで嬉しいっ。

(在アトランタ日本総領事館は、このビルの8階。)

アトランタの総領事館が入っているビルは、大きなショッピングモールの隣にあります。去年パスポートの更新に行った時はコロナ禍の真っ只中で、モールは全館クローズ。領事館の窓口業務も午前中に限られていて完全予約制でした。今回はモールの地下駐車場に車を入れて領事館へ向かいましたが、マスク姿とはいえ沢山の人が楽しそうに歩いているのを見て、前回来た時とは随分街の様子も変わったなあと思いました。


ビルの入り口を入ると、領事館の職員らしき人が「投票ですか?」とすぐに声をかけてきました。動線を最短にする為か、その方がエレベーターまで真っ直ぐに案内してくれて、「8階へどうぞ。」8階でエレベーターの扉が開くとそこにも案内の人が待っていて、ほんの数メートル先の領事館まで案内してくれました。投票時間は5時までで、私達が着いたのは4時頃でした。まずは手荷物検査を受けて中に入ると、パスポートと選挙人証の提示を求められ、マスクを取って本人確認。何人か先客がいて、そこで投票台が空くまで少し待つ事になりました。領事館の窓口の前の待合室の椅子などの配置を変えて、臨時の投票所を上手く作っているのがわかりました。順番が来ると、受付の用紙を書いて提出し、そこで小選挙区用と比例代表用の2種類の封筒と投票用紙を受け取ります。自分で自分の選挙人番号や該当する選挙管理委員会の名前を書かなければいけないので間違いのないようにと結構緊張しましたが、職員の方はとても親切に説明して下さって迷うような事はありませんでした。投票台に背表紙が何センチもあるようなファイルが2冊置いてあり、全国の小選挙区の候補者の一覧を見られるようにもなっていました。(そりゃ、分厚くもなりますわ。)私は事前に調べて誰に投票するか決めていましたが、折角なのでファイルを覗いてもう一度確認してから名前を書きました。


小さな封筒に記入済みの投票用紙を入れて封をし、それをもう一回り大きな封筒に入れてもう一度封をします。これを、小選挙区用と比例代表用の2種類作ります。ここまでが、自分でする作業です。この後この封筒をまた別のカウンターに持っていくと、またパスポートと選挙人証で本人確認の後記入に間違いが無いことを確認の上、別の立会人の方が署名をしてくれて手続きは終了です。投票期間が終わったら、まとめて日本に送られるのだと思います。後はよろしくお願いします、という気持ちです。在外選挙人証の裏に投票の記録を貰い、無事に初めての在外投票を終えました。



今回の選挙で海外から投票する人がどれくらいの人数いるのか分かりませんが、世界中に投票所がいくつも設けられて、投票の権利を行使したい日本人の為に沢山の人が考えてくれているのは確かな気がします。小さなお子さんを連れて投票に来られている方もいらっしゃったりして、いろんな人がいろんな立場で日本の事を思って投票しているんだなあ、と実感した1日でした。

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秋のお仕事用マスク

9/30/2021

日常生活に欠かせなくなったマスク。使用済みのマスクは、抗菌効果99.99%をうたった洗剤で手洗いして乾かした後、アイロンをかけて専用の引き出しにストックしています。清潔はしっかり保っているとは思うけれど、やはり使っているうちに劣化するし、替えは何枚あっても良いもの。秋らしい茶系のチェックと、厄除けの意味を込めて鱗紋様(に似ている)の2種類の生地で、主人の職場用のマスクを作りました。



肌に当たる裏生地は、抗菌素材です。


表と裏のそれぞれの生地を裁断。中心のカーブをつないで、縫い代に切り込みを入れて片倒ししてミシンで押さえます。


中表に合わせて、上下を縫います。


表に返して、上下に端ミシンをかけます。


左右の端を三つ折りして、ゴム通しを作ります。


ゴムを通して、完成です。



いい感じ。


最近、主人の会社の一部では会社独自の判断で4重の不織布マスクの着用が義務化されたと聞きました。自分の席からそこへ行く時には必ずマスクを付け替えるようになったというのです。「だったら出社日は最初から不織布マスクでいいのでは。」と思うのは私だけ?そういう話しではないのかな?状況がよくわからないのですが、とにかく、お仕事用の手作りマスクの需要は減る見込みで、これから作るのは2枚重ねの布マスクで問題のない休日用のものが多くなりそうです。まあいずれにしてもマスクが全く必要なくなるまでには、まだまだ時間がかかるんでしょうけどね。


《おまけ〜現状報告》

 2020年の春から人類の必需品となったマスクですが、当初は品不足だった事もあり(というか、私の生活圏では市販のマスク自体見たことが無かったので)必要に迫られてずっと手作りして来ました。最初のうちはマスクをバカにしていたアメリカ人達が徐々にマスクを着ける様になっていくのは、それだけコロナが深刻化しているのだと思い知らされる事でもありました。一年以上の長い辛抱の期間を経て多くの場所で着用が必須ではなくなったのを受け、街中で行き交う人の口元が見えて表情がわかるようになり、日常が戻って来たなあとホッとしたのも束の間、今年の7月末あたりからまた感染者が増えて来て、今はマスク着用を求められていない場所でも多くの人が自主的にマスクをしているような状態です。


アラバマ州はワクチン接種を拒否する人の割合が多い州の一つで、必要回数のワクチン接種が終わっている割合が9/27現在42.5%しかありません。因みに、アメリカ全体では56.4%、日本は58.9%。日本は出足こそ遅かったけれど、接種の仕組みが整ったら一気にアメリカを追い越しましたね。


「マスクはしない。」とか「ワクチンは打たない。」という選択をするのは確かに個人の自由かもしれないけれど、社会の構成員の1人としての責任とか影響を考えるとそうは言っていられない状況になっていまして。例えば、多くの生徒を預かる学校の先生や免疫力が弱くなっている患者さんと接する医療従事者の中にも個人の自由を根拠に拒否する人がいるようですが、私はやはりそういう立場の人こそ打っておいて欲しいと思ってしまいます。この夏の感染者の増加に伴い、アメリカは9月の初めに、従業員100人以上の全ての企業に対してワクチン接種か少なくとも週1回の検査と陰性証明の提出を義務付けました。全従業員にワクチン接種を求める企業も出て来ています。こちらは、陰性証明では許されず、ワクチンを打たなければ首という事です。


色々な考えの人がいるのは当然だけれど、まだまだ大変な状況が続く中、多くの人の健康が守られるような工夫をみんなで協力してできたらいいなと思います。

Life

NYでの夏休みに感じた事

8/31/2021

 今年の春先からワクチン接種が進んだ事によって規制がだいぶ緩み日常生活ではマスクが必須となる事がほぼ無くなって来た7月下旬、NYのブルックリンに住む長女夫婦会いに行って来ました。(もう1ヶ月も経ったのね。)アラバマに帰って来てからコロナの状況があまりにも悪化してしまい、のんびりNY旅行記みたいな物を書いていて良いのかと自問していましたが…記憶が曖昧になってしまう前にやはり記録を残そうと思います。土曜日に着いてまずは娘達の家で一泊し、翌日曜と月曜を4人で郊外のロッジでのんびり過ごし、残りの平日の昼間は我々2人で自由行動という感じで過ごしました。もっとも、長女夫婦は2人ともフレキシブルな形態でステイホームで働いているので、観光から戻ればありがたい事に家族の時間がしっかり取れました。

《1》準備から出発まで

(空港のような公共の建物内ではマスクは必須。)

我々夫婦は2人とも5月にはワクチン接種を終えていたので、6月には日常的によく使う食料品店やレストランではマスクが必要なくなっていましたが、NYに行くに当たっては滞在日数×2枚のマスクを用意しました。今住んでいるところには公共のバスも電車も無く交通手段は自家用車一択のため本当にマスクの必要性が低くなっていたので、マスク着用必須の地下鉄での移動が多くなるNYに身の引き締まる思い。飛行機で別の州に旅行となれば、やはり日常とは違う緊張感もありました。一歩空港の建物に足を踏み入れたら、マスクは必須。ソーシャルディスタンスって言ったって、機内は満員で密状態なので緊張しました。搭乗時には手の消毒のためにワイプが配られ、マスクの常時着用も念押ししてアナウンスされました。乗客がマスクを拒否して揉めるような映像をニュースで度々見るけれど、今回そんな事は全くありませんでした。

(空港まで、ピノも一緒に迎えに来てくれました。)

《2》郊外へのショートトリップ

一泊2日で車でCatskill Mountainへ。もちろんピノも一緒です。途中Flushingという中華系の街に寄って中華ランチ。すごい人混みにびっくりしたのと同時に、歩く人々のマスク着用率の高さ(おそらく100%、見た限り例外無し。)にもびっくりしました。中国系の人はコロナへの危機感が高いのか、社会に蔓延するアジア系の人々に対する暗黙の非難や差別へのせめてもの対抗なのかと、色々考えてしまいました。

(雨の中、今夜のお宿のロッジに到着。)

(NYから1時間半くらいで、こんなリゾートがあるなんて。)

(ペットフレンドリーの宿で、メゾネットタイプの部屋でした。)

2日目は、近所のおしゃれなレストランでサンドイッチをテイクアウトし、近くのキャンプ場へ。駐車場に車を停めて、みんなで湖畔をお散歩。湖に面した景色の良いピクニックエリアでランチ休憩してから、いよいよ森の中へ。


前日の雨で足元がかなり怪しいところもあったけど、ぬかるみや水溜りをなるべく避けながら、Pinoも一緒に歩いたよ。 NYとは思えないような、自然一杯のゆったりまったりの二日間でした。


《3》MOMAを中心とした1日

火曜はMOMAを中心にミッドタウンを回る1日に。(メトロポリタン美術館もグッゲンハイム美術館も月火が休館。いつから週休2日になったのか。これもコロナの影響でしょうか。)

まずは紀伊國屋で久しぶりに日本語の本や日本の文房具に囲まれて、とりあえず心を浄化。それからブラブラと街に繰り出しました。

(タイムズスクエアは観光客でいっぱい。)

NYには20年前に一度来ていますが、当然ですがその時と変わらない風景も変わってしまった風景もありました。当時日本から遊びに来ていた私の両親と泊まったヒルトンホテルは当時のままの姿でそこにありましたが、孫との旅行を楽しんでいた父は残念ながらもういません。一緒にブロードウェイにリバーダンスの舞台を観に行ったなあ、と思っていたら、地下鉄のホームでリバーサイドのポスターを見ました。ブロードウェイは再開したのでしょうか?また、トランプタワーの前を通った時には、まさかトランプさんが大統領になるとは誰も想像していなかったなあと思いました。歴史を感じるプラザホテルの向かいにかつてあったFAOシュワルツはなくなっていて、そのすぐそばに超お洒落で近代的なアップルのお店ができていました。ガラス張りキューブ状の入り口から螺旋階段で地下に降りて行くと、ワンフロアの大きな売り場が広がっていました。(後で知りましたが、元々のFAOシュワルツの店舗は2015年に一旦閉店となりましたが、2018年にロックフェラーセンターの一角に再び開店したそうです。今の子供も昔子供だった人も、みんな嬉しいね。私も、また映画「BIG」が観たくなりました。)


せっかくだからセントラルパークにもちょっと寄りました。大都会の真ん中にあるこの巨大な公園はアップダウンもありびっくりするような巨岩もあるけど、自然の地形なのかな?以前ここで辻井伸行さんが野外コンサートをされていたのを思い出して、心の中ではベートーベンの「皇帝」が流れていましたよ。

(セントラルパークをお散歩。)

MOMAは大き過ぎず小さ過ぎず、凝縮された見応えのある展示内容で大満足。ピカソの「アヴィニョンの娘達」やルソーの「夢」については、最近ハマっているYouTubeの「山田吾郎 オトナの教養講座」でピカソ回とルソー回を観たばかりだったので(特にルソー回は複数回あった全てがメチャクチャお勧めです。)、かなり興味深く鑑賞出来ました。セザンヌの部屋も、見た事も無い素描や小品が沢山あってすごく面白かったです。お土産には、マチスの「ダンス」のマグネットを買いました。

この日の夕食は、日本食レストランへ。今私達が住んでいる周辺にはお寿司を頼んでも一緒にライスが付いてくるみたいな感じの日本食レストランしか無いので、ちゃんとした日本料理が食べたいと言ったら、娘が本格日本料理店を予約していてくれました。仕事終わりに家から合流する娘達とは現地集合。お任せコースのみの完全予約制の小さなお店で、大将とおしゃべり(もちろん日本語!)しながらカウンターで一品ずつゆっくり味わうタイプの食事を楽しみました。アペタイザーにも趣向があり、その後バラエティ豊かな新鮮なネタの握りが目の前に1貫ずつ出てくる、贅沢な時間を過ごしました。(お値段もかなり贅沢でした。)

《4》自然史博物館

もう1日は、南の方を回りました。まずグラウンド・ゼロを目指したところ最寄駅から地上に出たらひどい雷雨だったので予定を変更して先に自然史博物館に行く事にしましたが、既に長蛇の列が出来ていました。入館までに1時間、更にチケットを買うまでに1時間はかかったと思います。雨が上がっていたのがせめてもの救いでした。(列に並んでいる間にネット購入を試みましたが何故か上手くいかず、結局中でも大行列を作ることになってしまいました。ここは大丈夫でしたが、最近は密を避けるためか入館には時間と人数に制限が設けられている施設も多いので、ネットで買えるのなら計画的にネットでチケットを買っておくのがお勧めです。)



やっとのことで中に入ると、ホールの真ん中に恐竜の骨格標本が2体ドーン。電子チケットを持っていたらそのまままっすぐ進んですぐに中に入れるのですが、私達は左手のチケット売り場に再び並ぶ事になりました。でもそのおかげで、チケット売り場横の壁画に描かれた人物に、漢字で「高平」と「小村」と書かれている事に気が付きました。「小村」は小村寿太郎だろうと見当がつきましたが「高平」が分からず、並んでいる間にスマホで調べました。高平小五郎でした。日米講和会議かポーツマス条約の締結の様子を描いているのでしょうか。

(右端に立っているのが、小村寿太郎。)

真ん中にあるドアを挟んで右側にも日本関係の壁画が。(因みに、ドアの上の壁画はチンギスハーンらしい。)こちらには右上に大きく「大日本帝国」の文字があり、時代を遡った感じで弓を射る武者やら着物を着た婦女やらの絵もあり、下の方はロシアとの戦いを表しているのか皇帝らしき人物と日本の軍人が対峙している風な構図もあったりしました。ここにも説明が欲しいよう。この壁画の存在自体私は今回初めて知ったんだけど、みんな(アメリカ人も含めて)意味を知ってるのかな?入って左手の壁画は日本を含めたアジアの国々の第二次世界大戦終戦までの歴史を表しているのかなとは思いましたが、本当のところはどうでしょう。こちら側の壁画にばかり目を奪われていましたが、正面と右手にも天井までぎっしりと壁画がありました。よく見てくれば良かったと後悔しています。


ホールの壁画の話ばかりになってしまいましたが、中の展示ももちろん面白く見て回りました。ものすごい量の剥製はこの博物館の宝ですが、良い意味で以前とそう変わらないと思いました。今でも映画「ナイトミュージアム」の世界を想起させてくれて、ワクワクします。上層階は大幅に改装もされていて、化石や骨格標本などの展示内容も更に充実していて、とても興味深く見て回りました。ただ残念だったのは、アジア文化の展示のところ。日本についての展示はせっかく他の国に比べても良い位置に大きく割かれているのに、展示が何十年もそのままなのではないかと心配しちゃうくらい劣化している感じで、一般的なアメリカ人にはかなり誤解されそうです。なんとかなりませんかね?

《5》グラウンド・ゼロ

前回のNY訪問は2011年の夏で、その1ヶ月ほど後に9.11のテロが起こりました。その日は趣味のキルトの集まりに行く予定で朝のニュースも見ずにバタバタ支度をしていたところ、「NYが大変な事になっているけれど、そちら(ケンタッキー)は大丈夫?」と日本にいる母から電話があり、慌ててテレビをつけて状況を知ったのでした。もちろんキルトどころではなくなり、その日は一日テレビの前で状況を見守るしかありませんでした。つい1ヶ月前には何の不安も疑問も持たずにニコニコと家族旅行を楽しんでいたNYなのに、と。今回の旅行では、絶対にグラウンドゼロに行って祈りを捧げなければと思っていました。

地下鉄を降りて地上に上がると一帯が新たに整備されていて、ここを大きな追悼の場にしようとしている意思を感じました。同時に、あまりにも全てが新しいので、一旦全てが無になったんだなあという事もしみじみ実感しました。私にはアメリカ人の本当の気持ちは到底分からないけれど、恨みや憎しみよりは犠牲者を悼む気持ちが満ちた空間だと思えたのは、私にとっては良かったです。こんな気持ちを持てるようになるのに20年という長い時間がかかったのかもしれませんし、卑劣なテロを憎む気持ちはもちろん持ち続けなければいけませんが。これからも、この地が静かな祈りの場所でありますように。

(犠牲者の名前が刻まれたプレート。)

Flight 175の搭乗者をはじめペンタゴンで亡くなられた方も含めた全ての犠牲者の名前が、2つの巨大な四角い滝のモニュメントの周囲のプレートに刻まれていました。改めて、多くの命が失われたことを実感しました。所々の名前の窪みに白いバラの花が挿してあるのは、お誕生日の方なのだそうです。こういった活動も、ボランティアで続いているのだそう。犠牲者という括りとは別に一人一人を忘れないでいてくれる人がいるって、すごく優しい気持ちになれるし大事ですね。テロが無ければ今も続いていたはずの人生がこんなに沢山あったんだなあ、と思いました。


博物館もあるようですが、今回は残念ながら訪問出来ませんでした。奥に見える白い翼を広げたような形の建物は大空間のモールになっていて、地下鉄のFulton St駅と繋がっています。商業施設というよりはモニュメントとしての造形物であって欲しいと思うのは部外者のわがままでしょうか。沢山の人に訪れて欲しいと思うと同時に、あまり観光地化しないで欲しいなとも思ってしまいました。


《地下鉄》

今回の旅行では、地下鉄を沢山使いました。最初に10ドルでメトロカードを買って使い始めたものの、足りなくなったらチャージしながら使うとしても使わなかった分の返金もないし何だか面倒だなあと思っていたら、クレジットカードが対応可のものなら直接改札にかざすだけで支払いが出来ると教えてもらいました。持っているカードの裏を見るとそれらしいマークがあり、やってみると無事に使えました。(そんな機能が付いているなんて全然知りませんでした。)乗る時だけピッとやれば良く、降りるときは必要無い(どこまで乗っても統一料金)のでとても使い勝手が良かったです。ただ、カードの明細に $2.75という少額がずらりと並ぶのが何だか愉快でたまりませんが。短期の旅行者にはこれは最適、と思いました。

(メトロカード)

(駅構内もキレイなデザインのところが多かったです。)

今回地下鉄に乗っていて特に感じたのは、「キレイになったなあ。」という事です。昔は駅も車両も汚かったしどこもかしこも落書きだらけでいかにも治安が悪そうなのが逆に「らしさ」でしたが、今は駅の構内も車両もすっきりときれいで明るくて、車内の乗り換えの案内表示も分かりやすくてとても意外でした。しかし、アラバマの家に帰ってから、その理由をはっきりと知ることになりました。

偶然お勧めに出てきて何気なく見たフジサンケイ系列のネットニュース番組で、NYの地下鉄の車両や券売機などのデザインをされた日本人デザイナーの宇多川信学(ウダガワ マサミチ)さんのインタビューをしていたのです。今年の7月の初めに納入された新車両の実際の運行は来年の夏からだそうですが、今走っている車両も宇多川さんのデザインだとの事でした。何だかしっくり来ると思ったら、そういう事ですね、と納得です。乗り換えの案内が一目で分かりやすいと思ったのは、日本の地下鉄のエッセンスが入っているから日本人にとってはすごく馴染みのある方法が使われていたからなんですね。もちろん日米で異なる観点から造られているデザインもあり、そんなお話が聞けたのもとても興味深かったです。日本の発券機はお金を入れてから買いたいもののボタンを押すがアメリカではそれが逆になっているのは何故か、という話については、実際にメトロカードを買うときに「あれ?」と思った点だったので、なるほど〜と面白く伺いました。他にも車両のデザインや内装の素材選びのポイントなど、現役バリバリのデザイナーさんの生きたお話に興味のある方は、検索して是非ご覧ください。

(路線はアルファベットで識別します。)

《総括》

今回のNY行きは、娘達と久しぶりに会うためでした。今振り返ってみると、デルタ株による第3波が来る前の小康状態の時だったのかなと思うので、良いタイミングだったのでしょう。帰ってきて数日後には、NYでは全ての建物に入る時のワクチンパスポートの提示が義務付けが発表されましたから。(今回の旅行ではどこでも一度も提示を求められませんでした。)

ショートトリップに行ったり、何故か夜な夜な4人で麻雀で盛り上がったり(娘と私は初心者で主人と婿は鬼のように強いので、全部の牌をオープンしてルールを教わりながらの麻雀でした。かなりユニークな試みかと。)、ボイラーが壊れてお湯が出なくなったり、急に8月いっぱいで家を出て欲しいと大家さんに言われてあたふたしたり、まあ色々ありましたが、総じて楽しい旅でした。娘達には色々と手配をしてもらい、感謝感謝です。私がモタモタこのブログを書いている間に、娘達は新しい家を探してさっさと引っ越しを終えてしまいました。やる事早っ!またいつか、新居の様子を見ながら遊びに行ける日が来るといいなあ。その時はまた宜しくね。